カイロタイムズ120号
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(3)2020年2月17日発行 カイロタイムズ 120号 カイロプラクティックによる徒手療法の安全性は昔から注目されるテーマです。日本国内においてもカイロプラクティックの法制化で議論されるのは安全性です。カイロプラクティックアジャストメント(徒手矯正)は様々な手法がありますが、関節を手技で操作して素早い刺激を関節に加えるカイロプラクティックアジャストメントに比べて、アクティベータ器によってアジャストメント(振動刺激)を行った場合、骨折を生じさせる確率はどれくらいでしょうか? 私が知る限りではそのような事例は聞いたことがありません。今回ご紹介させていただく研究論文は、危険性というよりも、アクティベータ器による骨粗鬆症への振動刺激がプラスの効果を発揮させるということを示した画期的な研究です。この研究論文は2017年11月に発表されました。研究はA.López-Herradón、R.Fujikawaらによって、スペインのマドリードカイロプラクティックカレッジの協力で行われました。研究テーマは、『卵巣切除ラットの骨と骨格筋に対するカイロプラクティックマニピュレーションの影響』です。 動物実験ではラットが使用され、一つ目のグループは卵巣を切除したグループ(OVX)、二つ目のグループは偽手術をしたグループ(Sh)に分けました。卵巣摘出(OVX)モデルラットは骨粗鬆症の実験モデルとして最も汎用されています。卵巣アクティベータ器を使用したアジャストメントは安全性が高いことは臨床的にも明らかです。徒手矯正によって引き起こされる医療過誤で注意を必要とされる病気の一つに骨粗鬆症があります。骨粗鬆症の程度にもよりますが、胸部への強い徒手矯正によって肋骨骨折を生じさせる危険性があります。 もしも、骨粗鬆症の患者にアクティベータ器による    骨粗鬆症と安全性保 井 志 之 DCVol.22摘出モデルは、エストロゲン欠乏により代謝回転が亢進し、長管骨の骨端部や椎体の海綿骨が顕著に減少することが知られています。偽手術のラットと卵巣摘出のラットのグループは、さらに徒手矯正を行わないグループとアクティベータ器5による徒手矯正のグループに分けられました。徒手矯正のグループのラットはアクティベータ器5を使い振動刺激の強度の設定は1レベルで行われました。矯正部位は脛骨結節で左右の後肢で行われました。右後肢は実際に調整を行い、左後肢は空打ち(空気中で調整)によるニセの調整を行い、軽く脛骨結節に触れるだけでした。 実験開始から10週間後に卵巣摘出のラットで骨粗鬆症が確認されてから、アクティベータ器5による徒手矯正が開始され6週間で週に3回繰り返されました。施術を完了してからラットの骨量を測定しました。さらにCTを使用して、各グループの長骨のいくつかの骨梁および皮質骨パラメーターを評価しました。結論的にアクティベータ器5のカイロプラクティック・マニピュレーションによる骨の改善は、卵巣摘出(OVX)ラットにおける大腿四頭筋および前脛骨筋におけるMGF(機械成長因子)発現の増加と関連していました。これらの研究成果は、骨格筋を標的としたアクティベータ器によるアジャストメント(振動刺激)(カイロプラクティック・マニピュレーション)が少なくとも部分的に骨粗鬆症を改善できるという概念を支持しています。つまり、それは、骨粗鬆症の患者にプラスの効果を発揮する可能性があるということです。しせ犬一般社団法人日本姿勢検定協会Japan Posture Aptitude Testing Association骨盤について深く学んでみる特別冊子Posture Prociency Test姿勢についての正しい知識は姿勢検定で!級無料web受験実施中!!!姿勢検定5『骨盤について深く学んでみる』マイページ登録でダウンロードできます。無料プレゼント配布中!特別冊子今ならさらに、今すぐ受験!!日本姿勢検定協会は、全国検定振興機構に加盟しております。URL:http://www.sisei.or.jp一般社団法人日本姿勢検定協会Japan Posture Aptitude Testing AssociationQRコードから新規登録フォームへ無料期間は予告なく終了する場合があります。公式サイトに告知いたしますので、あらかじめご了承ください。 1902年のB.J.パーマー(以下、B.J.)との会合を通じてD.D.パーマー(以下、D.D.)の理解と協力を得られなかったソロン・M.ラングワーシーDC(以下、ラングワーシー)は、1903年、アイオワ州シーダーラピッズにアメリカン・スクール・オブ・カイロプラクティック・アンド・ネイチャー・キュアを設立する。D.D.がサンタバーバラから戻るのが19中垣 光市DC03年の暮れ近くなので、D.D.に合流していたオークリー・G.スミスDC(以下、スミス)とミノラ・パックスソンDCが、ほぼ同じ頃に戻ってラングワーシーに協力したと考えられる。 スミスが教員として在籍していたことからおおよそ説明が付くだろうが、脊柱の固縮した靭帯に対する牽引と伸張によるストレッチ療法がアメリカンスクールに「ボヘミアン・カイロプラクティック」のラベルが付いた所以だ。D.D.のカイロプラクティックモデルから駆け離れていたラングワーシーの学校のいくつかの分野についてカイロプラクティック業界内の激しい論戦が絶頂点に至る。 B.J.が1906〜1907年頃にリーダーシップを発揮する前に、ラングワーシーが数々の特筆すべき「最初の」偉業を達成していた。すなわち、アイオワ州シーダーラピッズで彼のアメリカンスクールオブカイロプラクティックは、最初のシステム的な教育課程を提供し、ラングワーシーと彼の学校の初期卒業生たちが、最初のカイロプラクティック免許条令を1905年にミネソタ州で獲得した。ラングワーシーの刊行誌バックボーンが、カイロプラクティックで最初の定期刊行物であった。ラングワーシーは、スミスとパックスソンと共著で最初の教科書『近代化されたカイロプラクティック』を出版した。このカイロプラクティックの歴史(第15回)カイロプラクティックの歴史(第15回)中 垣 光 市 DCボヘミアン・ カイロプラクティック本は、B.J.の『カイロプラクティックの科学』よりも数週先に出版された。そしてラングワーシーは業界内でサブラクセーションの用語を用い、椎間腔の重要性を強調した最初の人物であった。 敵に包囲された駆け出しのカイロプラクティック業界の生存にとって、1902年にD.D.がダベンポートを去る前に卒業した最初の21人の弟子たちの中で、ラングワーシーの存在が最も重要な鍵であったかもしれない。これら多くの業績にも関わらず、1918年までにラングワーシーは業界から姿を消して消息不明になってしまったようなのだ。 スミスは、シカゴ・カレッジ・オブ・ナプラパシーを1905年に設立した。ナプラパシーの存続は、少なくともイリノイ州でスミスの影響と共に確認されている。 1905年までに、似たような名前のカイロプラクティック校が2校あった。それらはアイオワ州シーダーラピッズのアメリカン・スクール・オブ・カイロプラクティック・アンド・ネイチャー・キュアとニューヨーク市のアメリカン・スクール・オブ・カイロプラクティック(ASC)だ。前者を設立したのは1901年パーマー卒のラングワーシーで、恐らく彼が「ミクシング(mixing)」で非難を受けた最初のカイロプラクターだ。ラングワーシーの学校は1907年までにすでに舞台から消えかけていた。ベネディクト・ラストDCは、アメリカン・スクール・オブ・ナチュロパシーと並んでアメリカン・スクール・オブ・カイロプラクティック(ASC)を運営し、カイロプラクティック業界の「ストレート」側を激怒させる分野にまで業務範疇を拡げようとしていた。 以来、カイロプラクティック業界を濃く色付けた業界内の紛争は未だ見られず、1902年まで、「ミクシング」による業務範囲に関する不一致の兆しとカイロプラクティック学校間の最初期の競争は見られなかった。 一方で、オステオパス達は着実に組織力を強めていた。その一環として学校の視察が開始された。 1905年の初期にパーマースクールを卒業したC.R.パーカーDCは、アイオワ州オッタムワにパーカー・スクール・オブ・カイロプラクティックを開設する。そしてD.D.の弁護士を務めるウィラード・カーバーがパーカースクールへ入学して、新たな展開が始まる。 この続きは次号のお楽しみに。

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