カイロタイムズ110
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(7)2017年8月21日発行 カイロタイムズ 110号 近頃、テキストネック症候群を伴った患者さんが増えてきています。これは繰り返し同じ動作を行うことによって起こる障害とも言われ、近年、スマホとの関連があることから通称スマホ首とも呼ばれています。 私自身、最近引っ越したのを機に電車とバスでの通勤となったので車内をじっくりと見る機会が多くなりました。しかし、その際目に付くのが人々の姿勢の悪さです。その中でも、10代から20代位の若者の姿勢が特に気になりますが、これはスマホやタブレットなどのモバイルデバイス普及で、より顕著になってきたと思えます。 2月には、国立南洋理工大学の学生4人が主導し、コー・テック・プア病院とカイロプラクティックアソシエーション協力のもとで、正しい姿勢の卒業研究の一環として、シンガポール最大の繁華街オーチャードロードでの調査が行われました。調査は21歳から29歳の504人を対象に行われたのですが、驚くべき事に、調査対象者の89%の人がテキストネック症候群を知らず、87%の人が1日3、4時間もモバイルデバイスを使っていることが明らかになりました。また、10人中9人の割合でスマホを使っており、60%の人が首や背中の痛みを、モバイルデバイス使用後に感じているのだそうです。急激なモバイルデバイスの普及により、人々がスマホなどの機器に触れる時間も増えてきているのだと思いますが、このような調査がシンガポールの繁華街で行われた事は非常に興味深く、シンガポール国民の姿勢への意識が高まるのではないかと期待もしています。 近年、日本でも10代から20代の若者へのスマホ普及率が9割近いと言うデータも出ています。現に患者さんでも、首や肩、背中の痛みを訴える方が多くなっており、特に10代の子供の姿勢の悪さと身体の硬さは顕著です。現に、待合室で待っている時に観察していると、前傾姿勢で座っていたりして、脊柱の曲がりが気になって仕方がありません。ほとんどの子は母親と来院するのだが、可動域検査などを比べて見ると明らかに親よりも身体が硬く、可動域減少ケースが多い。クリニックに来る人を診ているだけでも、こうした子が多くいるので、潜在的にはもっと多くの子供が同様の問題を抱えているのではないかと思われます。 この様な調査報告や現状を踏まえ、私達カイロプラクターも、これからは何が出来るかということよりも、何を自分からしていくべきか深く考えていくべきなのかもしれないと感じました。テキストネック症候群齊田 貴文DC「患者が喜べば」は正しいか!? 前回の、治療院経営者から「患者が喜べばカイロでもほぐしでも構わない」と言われた話。カイロにこだわる私は正直「ムッ」としました。でも、反面、何か本質を突いている気もしました。私より長年、日本で経験豊富な彼の言葉には重みもあったからです。 以来、この言い回しは私の耳に残っています。当時から10数年経った今、「患者が喜べば」の言葉はむしろ説得力を増しています。 現代は、正しいアドバイスをする医師に、患者が印刷し持参したネット情報を手に反論できる世の中です。プロ意識が高い医院でも、悪い口コミが伝播すれば閉院に追い込まれます。つまり、「良い」「正しい」商品(サービス)が常に「売れる」とは限りません。我々の世界でも、技術・知識あるカイロプラクターよりも、2週間で培養されたアルバイト施術師のほうに多くの顧客が付くことも珍しくないですね。 あなたの施術に需要があるかはどう判断すればよいでしょうか?答えは、顧客からの集合体としての支持がどれだけあるかです。一部のお客さん(セグメント)から嫌われようと勝手ですよ。でも、お客さんからの集合体(マス)としての声を無視するわけにはいきません。 別の例えで説明します。政治家は、暴言を吐いて一部の国民から反感を持たれても別に困りません。でも、国民の声が集合体の「世論」になれば、権力の座から簡単に追われます。政治家が「選挙の結果など認めない!」と言っても負け犬の遠吠えです。 同様に、マスとして顧客の要望を示す「売れているもの」はマーケティング上、「正しい商品」です。あなたの院が流行るかは数年たてば数字(マス)として表れます。「いや、おかしい!世の中が間違っている」と言った瞬間にビジネスではないのです。私が開業後、数年間苦しむことになった経緯は今までお話ししたとおり。 誤解であれ間違っていることであれ、最後に商品を選択するのははお客さん。売れている「ほぐし」は日本においてはスタンダード商品です。究極的に顧客は「本当にこれが正しいかどうか」は判断しません。常に「自分の選択は正しい」と思いたい生き物だから。お客さんの選択を否定し「あなたに本当に必要なのはコレです」と言っても通用しません。『あなたが本当に必要だと思いたいのはコレでしょう?』という姿勢がマーケティングの第一歩です。あとは、医学的側面とどう折り合いを付けていくか。藤原 邦康DC整顎コラムVol.6藤原邦康 DCDrDr藤原藤原ののDr 藤原の D.D.パーマー(以下、D.D.)の人生に議論は尽きなかった様なのだが、初期にはオステオパシーの創始者A.T.スティルとの間で論争があった。英国系ボーンセッターの流れを汲むスティルのオステオパシーは、初期理論に於いて血液の循環を重視していることから、理論体系に違いが有ることになる。勿論、筆者はオステオパシーを熟知している訳ではないので、間違いが有れば御指摘を願う。 ウィラード・カーヴァーは、1886年にアイオワ州のメイズヴィルに生まれ、少年時代には配達の仕事をしていてパーマー家にしばしば行っており、B.J.を幼少期から知っていたと言われている。1902年にカーヴァーの親戚ハワード・ナッティング(L. Howard Nutting)がB.J.に学校を継続する為に融資している。カーヴァーは後に弁護士に成って、1905年の2月、教育課程に暗示療法を含むことをD.D.に勧めた。結果は想像に難くない。 1905年の3月初めにD.D.は、18歳のルクレティア・ルイス(Lucretia Lewis)と言う名の新患を受け入れた。彼女はアイオワ州オスカルーサ出身で、当時その町で弁護士業を営んでいたウィラード・カーヴァーが、D.D.に診てもらうことを彼女に勧めたのだった。カーヴァーは結核を患っていて、ルイス嬢も同病であった。3月10日にパーマー治療所でルイス嬢は亡くなった。彼女が、カイロプラクターのケアの下で死亡した最初の患者と言われている。 D.D.は死亡証明書の用紙を入手して、その最終欄に故人の担当医として自分の名前を添えた。ルイス嬢の死亡証明書が市職員エドワード・コリンズ(Edward Collins)に提出された際、D.D.が死亡証明書を発行する権威を有するのか問われた。コリンズカイロプラクティックの歴史(第5回)カイロプラクティックの歴史(第5回)中 垣 光 市 DCパーマーの闘い4は検死官事務所と連絡を取って、D.D.が死亡証明書の発行を認められた者として記録されているのか州保健局に質問状が送られ、D.D.が公的認可も無く振舞ったことを知らされた。その後、検死官の陪審員達が選ばれて、審問に出頭を命じる召喚状がD.D.に出された。陪審に於いて、死亡患者の母親であるリディア・ルイス(Lydia Lewis)が最初に証言した。母親は、娘の病状が前年に極めて悪化し、ウィラード・カーヴァーの助言で娘がD.D.の所に連れて来られたことを証言した。そして母親は、オスカルーサの担当医が娘の治療を諦めて匙を投げて仕舞い、娘の症例は絶望的に見えたことを指摘した。 カーヴァーが絶望的な病状のルクレティア・ルイスを送り込んだのは、組織医療に見放された患者を救おうとD.D.の助けを求めたのはカーヴァー自身の人間性の豊かさからだ。 1905年の6月、カーヴァーはチャールズ・レイ・パーカー(Charles Ray Parker)の学校を卒業してカイロプラクターに成り、1906年8月にオクラホマ・シティーでデニー(Denny)と共に自分の学校を始めた。そしてカーヴァーは、1906年にD.D.とB.J.の法的別居を手伝った。 D.D.の弁護士であったウィラード-カーヴァー(Willard Carver, LLB, DC)はオクラホマに移住した後もD.D.とB.J.に議論を挑み続けた。カーヴァー自身も基礎概念に改善を加え、カイロプラクティックの学究に励んだ。この続きは次号のお楽しみに。〜イデオロギー論争〜 春はスポーツカイロの会議などがあるので事務的な仕事が多いのですが、夏になると色々とスポーツのイベントも多くなり現場に出る機会も増えてきます。 特に今年は第二のオリンピックとも言われている4年に一度の多競技イベントの「ワールドゲームズ」がポーランドのヴロツワフで行われます。多くの日本人には聞きなれないイベントですが、規模は若干小さいですがオリンピックと同じ様な感じのイベントで、4年前にコロンビアで行われた大会に出た時は開会式を観客席から見ていて感動したのを今でも覚えています。 その後も色々な競技に関わらせて頂くチャンスがあり、今では大学相撲部、空手、ダンススポーツ、ウィルチェアーラグビーなど忙しく、楽しく現場に出させていただいています。それらの現場には一人で行く事もありますが、すでにある体制に入っていったり、自分でメンバーを集めて複数で担当したりと色々あります。勿論、現場ではそれぞれ役割が違うので幅広く対応できる能力が必要なので勉強になります。 そういう現場での活動をしている話をするとよく言われるのが、「どうやって(そのチームに)入ったんですか?」とか、「自分もやりたいけれど、どうやって始めるのか分からない。」などです。確かにコネとか紹介とか色々と近道の要素はありますが肝心なのは、「地域レベルのチームからでも説明に行ってスタートする。」ことです。そこで地道に頑張っていくと徐々に上への道が開けていくと僕は思いますし、今まで僕が関わってきたチームや大会はそこからのスタートでした。 この記事を書いている今日、岸記念体育館でワールドゲームズの壮行会がありました。岸記念体育館は僕が帰国後すぐに行った場所で、その時は全く何の手応えもなく日本の資格を持っていないのでスポーツカイロプラクターとしてトップレベルのチームで活動するのは厳しいなと思いました。 それから月日が経ち、今日は壮行会に招待されて、ワールドゲームズ公式カイロプラクターとして選手のサポート。司会者や日本ワールドゲームズ協会の執行役員がカイロプラクティックの事をお話ししてくれました。そして6月からウィルチェアーラグビー日本代表のチームで活動できるようになり過去と現在の自分の進歩を振り返り色々な思いが交錯しました。ーツとスポースポーツとポポツーーポポポポポスポススススススポーツとスススポスポポポスポーツプラクティックププライロプイカイプラクティックププラププカカイロカイカイカカカカカカイロプラクティックカイロプスポーツとカイロプラクティック伊佐和敏 DC, ICCSP,ATCVol.6スポーツの現場で 活動するには そして、僕が選ばれたという事はFICSが(FICSとしてではなく)ロンドン、リオと続いてきているカイロプラクティックをポリクリニックにいれる事を目標に何とか道を切り開いていくと再認識しました。 東京オリンピックでカイロプラクティックがどうなるかは現時点では、僕には分かりません。時間は限られているのにクリアしないといけない事は多いので情報収集と効率の良いアプローチが必須であり、東京オリンピックに携わることができれば、カイロプラクティックを日本に広める大きなチャンスであり、法制化に向けての大きな一歩となります。僕にできる事は何でもやっていかなければならないなと決心させる今回のFICSの総会・セミナーでした。

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