カイロタイムズ107
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(7)2016年11月21日発行 カイロタイムズ 107号〒286-0201 千葉県富里市日吉台3-36-1TEL:0476-37-8781http://onnetsu.jp/三井温熱療法とは?三井温熱療法を体験してみませんか?三井温熱療法 無料体験三井温熱療法に興味があり、将来サロン・治療院で導入したいとお考えの方平日 14時~17時体験時間 30分程度 要予約三井温熱浅草セミナールーム東京都台東区浅草1-33-8☎0476-37-8771 murakami@mitsui-onnetsu.co.jp対 象要 項場 所予 約一般社団法人 皮膚の一番表面には熱刺激を受け取る感覚器官があり、熱さという情報を脳に伝えています。身体に冷え、こり、痛みといった症状がある部位は、特に熱く感じ、その熱さは瞬時に神経経路をたどり脳に伝達されます。 施療により暑さが緩和すれば、冷え、こり、痛みといった症状も緩和します。 この熱感覚の差異を的確にとらえて熱を用いて刺激するのが三井温熱療法です。三井温熱トータルケアサポートシステム総合講座 受講生募集 三井温熱療法を習得していただくための講座です。 今既に技術をお持ちの方が対象です。講習内容は部位別に温熱器の施術方法を学んでいただき、技術のほかに理論もしっかりとお伝えいたします。募集対象講習期間講習内容講習費用販売店制度お問合せ2年間(三井温熱療法師の認定までは12単位×3時間 その後は復習で期間内何度でも受講可能です。)受講をいただきました皆様は温熱器の販売など販売店様としてもご活躍いただけます。 ※条件あり一括払い 43万円月謝払い 入会金9万円 月謝15,000円(2年間銀行引き落とし)学理講習 DVDにて自習実技講習 背部 腹部 脚部 腰部 腕部への温熱器のかけ方特別講習 SNSマーケティング法 アンチエイジング 食事療法     女性の悩み講座 等資料請求☎0476-37-8771 murakami@mitsui-onnetsu.co.jpプロの治療家・施術家 治療院オーナーの皆さまカイロプラクティック留学から 開業まで CG業界に身を置いていた当時、「CG映像クリエーター」という職種がもてはやされ、メディアでも取り上げられていました。でも、その本質は「下請け」仕事。特にCM業界はピラミッド構造。スポンサーから広告代理店を経由してCM制作会社に仕事が発注される中で様々な無理難題を要求されます。加えて、先述のSE30歳定年説。5年ほどで「これって一生の仕事だろうか?」という疑問が大きくなっていきました。そんなとき思い出したのが、以前、ぎっくり腰を患った際に診てもらったDCのことです。デジタルは常にバージョンアップされますが、人間の解剖的構造は時代を経ても基本的には変化しません。勉強するほど技術・知識が蓄積される「職人仕事」としてのアナログ的なメリットを実感しました。 30歳になったとき、私はCG業界を退職。カイロプラクターになるためにアメリカ留学を実行しました。渡米すると北カリフォルニアで医大必須科目取得のために半年を費やした後、ライフウェスト大学に入学。このとき60名いた同級生は、卒業時には1/5の12名だけになっていました。留学生活に慣れていた私でも勉強は非常にハードでした。ドロップアウトする学生も多い中、周囲の支えや技術習得への意欲、目的意識を保てたおかげで無事卒業することができました。 帰国後は、スクール講師やセミナー講師を務めながら開業準備を進めていきました。留学で底を付いていた貯金も徐々に復活していき、2006年に世田谷区成城でオフィスをオープンすることができました。 ところが、経営は順風満帆とは言えず、2、3年間はオフィス経営と講師業の2足のわらじを履いていました。開業時の心境では、例えば「イタリア修業をしてきたイタリア料理人」同様、「カイロプラクティックの本場アメリカで学んできたDCが院長を務めるオフィス」として盛業しているはずでした。ところが、カイロ自体分かってくれる風土が日本にはありません。「イタリア料理」は、その一言でどんなものか誰でも理解できますが、カイロは説明するのに時間と情熱が必要です。ある程度、予想はしていたものの、誤算でした。いくら話をしても「じゃあ揉んで。」「ボキボキして(しないで)。」で終わってしまいます。そこで、私の施術の中で評判が高かった「アゴ施術」を軸に専門院化を試みることになりました。 (次号に続く)藤原 邦康DC整顎コラムVol.3藤原邦康 DCDrDr藤原藤原ののDr 藤原の 学生時代、「The Foot-steps of Dr. G」(和訳版:「ガンステッドの真髄」)をセミナー会場で購入し、本の表紙裏に著者のDr.ジョン・コックスから「Stay Strong in Your Philosophy!:哲学を強く持ち続けろ!」という揮毫をいただきました。この本は、著者が日々の診療と毎月開催されるセミナーの運営等の中、書き上げたものでガンステッドの生涯、臨床現場で苦楽を共にしたDr.アレックス・コックスと後継者たちの師への熱い思いや実話が赤裸々に綴られています。セミナーにできるだけたくさん参加してテクニックを極め、躍起になっていた「テクニック至上主義者」の僕にはこの言葉は全く理解できませんでした。大学卒業後、現場に立ってみると、大学で詰め込んだ知識が邪魔をして、患者さんとのコミュニケーションがなかなかとれません。そればかりか、その人の現状の症状や苦しみにフォーカスして、それを自分の知識やテクニックで変えようと焦ってしまい、いつの間にか患者さん自身の本来持つ生命力や希望が見えてくる前に自分が疲れて諦めそうになるのです。その結果、アジャストメントを行う前で挫折してしまい、来なくなるケースで悩みました。そんなある日、ガンステッドがPSC卒業後、オフィスの家賃も払えないほどの経営難に落ち込み、悩んでいたという秘話を思い出し、読んだつもりになっていたDr.ジョン・コックスの本を改めて開いてみました。すると表紙の裏に揮毫していただいた言葉が自分の目に飛び込んできたのです。「そうか、これが今の自分に欠けていたんだ!」と衝撃を受けました。 カイロプラクティックの哲学を知らないままだと「何のため?」という目的観が欠けた状態になります。それはまるで早く目的地につける乗り物に乗っていてもゴールにたどり着けず、迷子になるのと同じです。困難や自己の限界にぶつかった時、それを乗り越えて次のレベルまで進化するチカラは知識やテクニックではありません。ではどんなチカラなのか?そのエッセンスを巨匠たちから受け継げるのがガンステッド・セミナーです。来年は新体制で、Dr.ジョン・コックスをお迎えして開催されます。是非参加してみてください。法則を疑うな。自分自身の意識を問え。江 川 哲 也 DCVol.11江川 哲也DC上村 高史DC 今回は、いくつか質問を頂いたのでそれについてお応えしたいと思います。 質問の中で、「アメリカにいる時にどんな経緯でサッカーを教える事になったのか」、「協会やJリーグでの選手のサポートを行うキッカケ」などの質問をメールにて頂きました。 アメリカサンノゼ、サンマテオにある岡井先生のクリニックで勤務していた時、休みのほとんどをサンノゼのサッカーチームで小中学生を対象にボランティアでサッカーを教えていました。そのキッカケをくれたのが、サッカーをやっていた患者さんなのです。サッカーをやっていた友達が、怪我をしてクリニックで治療中に「サッカー経験があるのなら、一緒にやりませんか?」と誘ってくれたのです。とても嬉しいお誘いでしたので直ぐに「やります!」と言ってその週末からコーチボランティアを始めました。練習が終わった後は、高校生以上の学生と大人でチームを作り、紅白戦を毎回やっていました。 「怪我をしたら、私が勤務しているクリニックで受診されるといいので皆さんご相談ください」と初日に言っていましたので、何か怪我の相談があれば、いつでも受けていました。そのチームには、アメリカ企業に勤務の方や日本企業に赴任中の方、アメリカで多角経営している社長やアメリカの理学療法士のライセンス取得をしている方など、色々な日本人がいました。アメリカサッカー協会や日本サッカー協会の方もいて、その方からアメリカに来た日本代表選手やJリーグチームのサポートを依頼されて、ご一緒する事が多くなったのです。私自身、小学生の時から大学までサッカーをしていました。一時期はかなり酷い腰痛に悩まされたので、治療をするしないに限らず出来る範囲で身体とメンタルのサポートを選手の為にいつも行っていました。それが少しずつ信頼へと繋がっていったと思います。 幸いアメリカ女子サッカーリーグの優勝チームのサポートもすることになり、アメリカ、ブラジル、ドイツ、メキシコ、日本代表の女子選手がそのチームにいましたので、シーズン中は毎週末試合に帯同してテーピングやアップ、ストレッチ、試合後のダウンまでを担当し、とても良い経験をさせて頂きました。当時の選手は現在、アメリカの各州立大学の強豪校の監督やアスポーツに携わるキッカケDrDrムウエムムウエムララののリアリリア床ダイアリー臨床ダイアリDr ウエムラの臨床ダイアリーVol.3上村高史 DCメリカ女子代表のU-18 、U-20の代表コーチ、監督になっていて引退後もサッカーへ関わっていますのでその事も嬉しいですし、アメリカが国籍を問わずそういう形で仕事が出来る環境であるのは代表が強くなる要因だとも思っています。そのコーチが育てた選手が日本のなでしこリーグに加入するケースもありましたので世間は狭いですね。 2004年アテネオリンピックの代表選考前に岡井先生が十種競技のアメリカ代表候補選手のサポートドクターにも選ばれ、練習前後のケアをする事にも恵まれました。ただ代表候補選手の合宿場所までサンノゼから片道3時間程運転して行っていましたので、帰りはさすがに疲労で眠くなり交代してフラフラしながら運転していたのを覚えています。

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