カイロタイムズ106
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(8)2016年8月22日発行 カイロタイムズ 106号完全版タッチフォーヘルス(TFH)完全版タッチフォーヘルス(TFH)ジョン・F・シーD.Cの遺作がついに翻訳出版!!  全世界100ヶ国以上1000万人以上に使われてきた、そして多くのエネルギーキネシオロジーに多大な影響を与えてきた「タッチフォーヘルス健康法」を全面改訂し最新のカラー図表を取り入れて従来の説明不足な点を全て訂正加筆した文字通り完全版です。  この一冊を読むだけで「TFHキネシオロジー」が理解できます。  ジョン・シー&マシュー・シー共著/石丸賢一訳内容一部紹介:指標筋テスト法、42筋テストと調整法、姿勢、感情、栄養、目標設定法、陰陽五行経絡テストと調整法、五行メタファーなど価格 : 10,584円(税込) A4サイズ全400ページフルカラーお申込みはこちらから 日本キネシオロジー総合学院 オンラインショップ http://kinesiology.shop10.makeshop.jp/smartphone/detail.html?id=000000000083日本タッチフォーヘルスキネシオロジー協会お問い合わせメール:touch4health@kinesiology.jp ☎0422-27-6579 FAX:0422-27-6507癒しフェア 2016 in Tokyoでは、癒しフェア初となるカイロプラクティックの講演が実施された。「癒しフェアにカイロプラクティック?」と当初は疑問を抱いていた編集部も講演を聞いていくうちに“姿勢が良くなる➡心にゆとりができる➡癒し効果が生まれる”とカイロプラクティックで身体を正すことによって心が健康になっていくことを改めて実感できた。本来のカイロプラクティックとは、姿勢を治すもしくは矯正が大きな目的だが、現代では姿勢からくるコンプレックスや心の病も取り除ける療法だと感じ、弊紙でもそのような情報をもっと発信していこうと思った。編集後記カイロタイムズでは、皆様からの広告・寄稿・情報提供を募集しております。〒160-0023東京都新宿区西新宿3-1-5新宿嘉泉ビル8FTEL0120-223-505 FAX0120-223-509E-mail:info@chiro-times.co.jpURL:http://www.chiro-times.co.jp/日本医科学出販株式会社 カイロタイムズ編集部 整形外科医として国内で現代医療の第一線で働いていた私は、毎日、混沌としていました。何か、本当の自分の道を生きていない気がして仕方がなかったのです。患者の症状にただ病名をつけ、教科書に書いてある通りに治療方針を決め、手術や投薬などを行う姿には、何か本質を見失っているという寂しさがありました。先輩の医師たちと話をしても、「限界だ」「無理だ」「仕方ない」といった悲しい言葉が非常に目立ち、夢と希望といった世界から遠ざかっていました。勉学のために学会へ参加しても、医師の地位欲が強く感じられ、患者を救いたいという熱い思いや意欲が感じられませんでした。 そのような経験を積み重ね、私はカイロプラクティックという新しい境地を求め、渡米しました。最初に入ったLACCでは、医学至上主義の空気が強く、新たに学ぶものがあまりありませんでした。私は、留学期間と費用の増加を覚悟しながら、ダベンポートのパーマー大学へ転校しました。しかし、ここでも私が求めるに値する授業は、唯一「古典的カイロプラクティック哲学」だけだったと感じます。それは、現代の哲学の授業は魂が抜けた現代的道徳にすぎないからです。私は、最後の古典的カイロプラクティック哲学を学べ、パーマーに在籍できた事を必然的な奇跡と思います。 本当に大事なものを学んだところは、Dr.ジョン コックス率いるガンステッドセミナーでした。「治療への情熱」・「学ぶ事への貪欲さ」・「不可能を打ち破る力」の3つを得ることができました。ガンステッドに触れて、ようやく私の魂は癒されました。幼い頃から医師を志し、新しい世界を創るという想いを抱いて来た私には、本当の医療を学ぶことができる感動的なものでした。アイオワから頻繁にマウントホレブのガンステッドクリニック、そしてDr.アレックス コックスの家を度々訪れました。彼の口からは、いつも一切、お金の話は出てきませんでした。常に患者を助ける事だけに、彼の魂は向いていたからです。ガンステッドとDr.アレックスから、私の治療家人生の中で最も重要で治療家として必要なことを学びました。『ガンステッド』が 私に与えたものGCJ代表 松 久   正Vol.10松久 正MD, DC映像の世界から カイロプラクティックへ② 映像業界に身を置いた20代。私はプロデューサーとしてトラブル処理に追われる日々を送りました。「レンダリング(計算)完了間際でマシンクラッシュ。」「外注したフリーランサーが逃げる。」「スポンサー企業の社長が気まぐれでプロジェクト白紙撤回。」など、キリがありません。気の休まる暇もなくストレスの連続。更に徹夜で仕事明けの焼肉屋めぐりも合わさって、胃がキリキリ痛む毎日でした。でも、病気・不健康自慢は当たり前の業界。「具合が悪い」などと口が裂けても言えません。20代という若さもあり、勢いで乗り切っていました。何よりも、映画少年だった私にとって、最先端のCG業界で第一線の仕事に関わっている満足感は他に替えがたいものでした。 「テレビを点けると関わったCMが流れている」「撮影現場でCM制作の裏側を体験」「至近距離から芸能人にCG計測」など、刺激がありました。その一方で、私は矛盾を感じていました。当時からささやかれていた現象に「SE30歳定年」説があります。半導体の性能が指数関数的に向上することを示唆した「ムーアの法則」と同様、映像テクノロジーも日進月歩でアップデートされます。その進歩に付いていけない人間が疲弊、脱落していくのです。 離職者をチラホラ見かけるようになる中、私も「果たしてこれは一生の仕事なのだろうか…?」と思い始めました。ただし、私の場合は技術者ではなく管理者でしたから、まだ活路は見出せましたし、仕事力も養われていきました。 プロデューサーとして私が20代で養った能力(複数プロジェクトを同時進行するマルチタスク・スキル、どんな問題が起きても締め切りに間に合わせる危機管理・トラブル処理能力。そして、時代に合わせる発想力と企画力など)は、20年経った今でも私の武器になっています。特に「整顎」というコンセプトを衆知できたのは企画力のおかげです。 余談ですが、小顔矯正の9業者が景表法で消費者庁から行政処分を受けましたね。「小顔」は、あくまでもマーケティングの観点だけからいうと分かりやすいコンセプト作りで市場を創出した先見性はあるかも知れませんが、これで終了です。私は親しいメディア関係者と話をした際にこの処分をもって「小顔は終焉」という意見で一致しました。 これからの手技コンセプト作りには、コンプライアンス重視の姿勢が欠かせないでしょう。 (次号に続く)藤原 邦康DC整顎コラムVol.2藤原邦康 DCDrDr藤原藤原ののDr 藤原の ヒトは実に興味深い生命体であり、全員が基本的に同じ数の骨、同じ数の筋肉細胞、同じ数の神経細胞から出来上がっているが、それらの使い方は個体間で微妙に異なり、運動選手から音楽家まで様々な才能が開花する。カイロプラクティックに於いては神経系の優位性が力説されるのだが、特徴的に最も興味深い現象として人の中枢は、「見たいことを見たいように見る」、「聞きたいことを聞きたいように聞く」、「考えたいことを考えたいように考える」ようになっている。カイロプラクティック・手技療法を職としている読者は、カイロプラクティックに関して何か聞き違いや勘違い、考え違いは無いだろうか。万が一、洗脳された小世界に勝手な思い込みと共存しているのならば、一刻も早く目覚め、業界人の一人一人がカイロプラクティックを正確に理解し、実践して頂きたいと私は思っている。 まずは、歴史的なパースペクティヴからチェックを入れていこう。古代ギリシャの医学の父ヒポクラテス氏の「関節」に於いて、脊椎マニピュレーションを行った文書記録が有り、ローマ時代にアポロニウス氏がサブラクセーション部位へ立ったり、ローマ皇帝の医師として著名なギャレン氏が足踏みを用いたことを整形外科医のシリアック氏などが伝えている。 1746年に内科医のヒエロニミ氏がサブラクセーションを定義した。即ち、2500年程前から内科医も外科医もマニピュレーションを用いていた。残念ながら、黒死病(ペスト)の蔓延で多くの医学知識は消失したが、アラビアの一部地域からの逆輸入でなんとか復活を遂げた。マニピュレーションは、19世紀前半にその速効性を認める医師達が居たが、18世紀後半からの産業革命が招いた、結核と梅毒の蔓延により、衰退の一途を辿ったのだった。 一方で、マニピュレーションのテクニックは古くから世界中に存在し、前述の如く中世医学史にも見られるが、主にボーンセッターと称する人達に口伝で伝承されてきた。ボーンセッターはフィンランド、ロシア、ノルウェー、ウェールズで極最近まで存在していたし、アメリカ大陸のスペイン系社会でも同じだ。米国の開拓時代には、ボヘミア人の移住者が脊椎アジャストメントを施す写真が有り、自身が若い頃に敗血症から回復したと記録されている。英国系ボーンセッターの影響としては、「稲妻ボーンセッター」の異名で知られるATスティルが、1874年にミズーリ州カークスヴィルでオステオパシーを創設している。因みに、カイロプラクティックとの相違点は、初期理論に病の根源が神経ではなく血管に有るとしたことだった。 我等の英雄、DDパーマー氏は、1845年にカナダの森林地帯に誕生し、当時13歳相当の教育を11歳で終えるぐらいの勉強熱心な少年だった。DDパーマー氏は独学で大量の書物を読み、読んだ書籍を後年には私設移動図書館として所持した。DDパーマー氏はマニピュレーションのテクニックに関する文献も読んでいたと推測されている。 1886年にアイオワ州バーリントンで「磁気治療」を行っていたが、ダヴェンポートへ移ったDDパーマー氏は、ハーヴィー・リラード氏との出会いから、1895年9月18日のカイロプラクティック史上で最も歴史的な出来事を迎えた。そして落馬が原因で杖に頼る生活をしていたウィード嬢の足を治したことを契機に、父親のギリシャ語に堪能なウィード牧師が、カイロプラクティックを造語した。ここでDDパーマー氏が下肢のテクニックをも身に付けていたことへ注目するべきだ。 アジャストメントのテクニックを誰から学んだかを訊かれたDDパーマー氏は、ある人物の名を挙げたが、その人物は戸籍上では見付からなかった。DDパーマー氏は、独学で学んだマニピュレーションから厳選してアジャストメントのテクニックを構成し、理論と哲学を加えてカイロプラクティック科学を構築させていったのだった。 話題はパーマーの闘いに続くが、それは次号のお楽しみに。新連載 カイロプラクティックの歴史(第1回)新連載 カイロプラクティックの歴史(第1回)中 垣 光 市 DCカイロプラクティックの始まり

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