カイロタイムズ102号
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(6)2015年8月17日発行 カイロタイムズ 102号 今年3月、国父ともいわれるリー・クワンユーが亡くなりました。彼はシンガポール建国の父であり、大きな功績を数多く残し、1965年の独立後、50年間でこの国を東南アジアナンバー1の国にしました。 彼は亡くなる前に、親族に、自分が住んでいた繁華街近くにある生家の土地は保存せずに売り、周辺の資産価値を上げろと告げたとか…。最期の時まで自国のことを考えていたその姿勢には脱帽です。また、彼の死に際しては国葬が執り行われたのですが、国民に負担のかからぬように日曜日に実施されました。弔問は8時間待ちにもなり、改めて国民に愛された偉大な指導者であったことを実感しました。そんな人物を失ったシンガポール。今後はどのように変化してゆくのでしょうか。 さて、当地では一時に比べ下がりましたが、他国と比べると住宅価格は相変わらず高く、現地の生活者にとっては家賃も悩みの種となっています。さらには人件費も高騰しているため、(特に飲食や建築業では)人材確保も大変なようです。現在就労している人々は、国民・永住者と外国人労働者で2対1の割合となっているのですが、外国人労働者の増加に伴い、シンガポール人の雇用が狭まるという理由で、労働ビザが発行されにくくなっていることも一因のようです。 このような労働需給のひっ迫を背景に、外国人労働者規制緩和を求める声もあります。しかし、政府はシンガポール人を中核の労働力とし、現在就労している外国人労働者の技術水準を引き上げていくことにより、人材面で無駄を省くという経済方針を表明しています。 こうした政府方針により、来星以来初めて私のビザ更新も手こずりました。私は無事に取得できたものの、こういった状況のため、この国を去るDCも出てきているようです。しかし、たとえビザが取れても、年々上がる生活費や人件費により、当地で開業や生活をしているDCにとっては大変な時期となってきています。そんな中、ここ最近増えてきているのが、複数のDCによるクリニック運営です。これは、以前はあまり見られなかったものです。私は雇用されているため、幸いなことに職場の家賃やスタッフの人件費問題が無く、治療だけに専念できるのでそこまで実感はありません。とはいえ、今後のシンガポール政府の方針により、当地にいるDCの開業形態がどのように変化していくのか大変注目しています。シンガポールの変化齊田 貴文DC パーマーが提供してくれたホテルの部屋は一日だけ。説明会を聞きに来ただけではなく実際に留学生活はスタートしていますから部屋を早く決めなければいけません。2日ほど塩川先生の家に泊めて頂いた後、今は東京にいらっしゃる上村先生の家に居候。その間に銀行口座を作ったり、若城先生について来て頂きアパートの契約を済ませたりと、日本人会の方には、学校の勉強で忙しい中、助けて頂きました。 留学が始まったといっても私がアメリカへ渡ったのは7月の始め。授業が始まるのが9月でしたのでほぼ2カ月の暇な時間がありました。最初のうちはお金の節約のために自転車で移動しようと考えていましたが、それは無理な話だと理解するまでに時間は掛かりませんでした。ニューヨークのマンハッタンで生活するならまだしも、辺り一面見渡す限りトウモロコシ畑のアイオワです。自転車だけで生活するのは到底無理で、車を購入することに。車を購入するには免許が必要で、取り敢えず免許を取得しようと免許センターへ。 ここでビックリしたのが日本と違い、授業を受けるわけでもなくいきなり筆記テストで、筆記テストに合格したなら10分ぐらいの実技テストを受けるシステムだったことです。費用は15ドル(当時)。たかだか1500円ぐらいで免許が取れてしまうのです。驚いたのはそれだけではありません。筆記テストに落ちた場合はその15ドルも還ってくるのです!? そして実技テストを実施する車は免許センターの車ではなくて自分で用意しなければなりません!?意味が分からなくないですか?これから免許を取得しようとしているのに車を運転して来いと? 私は、現在、愛知県にいらっしゃる飯田先生について来て頂き、彼の車で実技テストを受けました。テストといっても、難しいS字などもなく、そこら辺をぐるっと一周するのみで「え?これだけでいいの?」という感じで終わりました。 ここから免許を作成するための書類作業を行うのですが、私はアメリカへ来て2週間足らず。飯田先生は2カ月。このコンビで免許センターの職員を唖然とさせる伝説級の問答を繰り広げることになるのでした。(次号に続く)留学当時の青DC米国留学時代の思い出3 カイロプラクティックは、その創成期の頃から様々な困難や戦いを経験してきた。 外部との争いは1906年にDDが「無免許医療行為」で訴えられ、23日間スコット郡刑務所に収監された事で始まった。 世界初のカイロプラクティック団体であるユニバーサルカイロプラクターズ協会の最初の法的闘争は、ウイスコンシン州での1907年の森久保繁太郎DCに対する「無免許オステオパシー行為」による訴訟だった。 当時、結果を出して患者からの評判が高かったカイロプラクターに対し、医師達は嫉妬し、カイロプラクティックは医療の一つであり、MDやDOの免許無しで行うことは無免許医療行為であると訴え、カイロプラクターに「無免許医療行為」を認め、罰金を払うことを要求したのだ。 それに対して多くのカイロプラクター達は、「私が行ったものはカイロプラクティックであり、医療(西洋医学やオステオパシー)ではない」と毅然として反論し、罰金の支払いを拒否して刑務所での拘留を選び、専門職を守るために戦った。 こういったカイロプラクティックに対する西洋医学からの攻撃に対し、BJパーマーは、カイロプラクティックの哲学・科学・芸術を発展させて体系化し、その理論の違い、教育の違い、臨床の違いといった独自性を証明し、森久保DCの訴訟を始めとする多くの法廷での闘いをカイロプラクティックの勝利へとつなげてきた。 そう、「カイロプラクティックとは、自然の法則に基づく、哲学・科学・芸術であり、不調(疾病)の原因となる脊柱上の分節を、素手によってのみアジャスト(矯正)をするシステム(体系)である」という創始者DDの定義に基づき、それを発展させたBJの哲学がなければ、今日のカイロプラクティックは存在しなかったのだ。 もしカイロプラクティックの学校での教育が、解剖学、生理学、病理学、診断学等だけなら、それは医学部の教育と同じであり、独自性がなく存在理由も無いということで裁判に勝てなかっただろう。哲学を教えていたからこそ、MDやDOの教育とは違う独自の教育と認められたのだ。 理論も同様に、神経機能を妨害する脊椎の不整列であり、哲学に基づく、「サブラクセーション」を対象としていたからこそ、そして臨床でもMDやDOが行うマニピュレーションではなく、アジャ米国カイロの歴史と潮流1松下 順彦DCVol.ストメントでサブラクセーションを取り除くことのみを行っていたからこそ裁判で独自性が認められ、無免許医療行為の濡れ衣を着なくて済んだのだ。 カイロプラクティックが西洋医学やオステオパシーとは異なる独自の専門職と認められ、法制化して免許を発行する州が増えてくると、医師と医師会は「カイロプラクティックは非科学的なカルト」などとネガティブキャンペーンを展開して攻撃する戦略へと転換した。 それに対しウイルクDCら有志が米医師会(AMA)を相手に訴訟を起こし、1987年8月27日、米国フェデラル裁判所において、スーザン・ゲッゼンダナー裁判官は米医師会に「有罪」の判決を下し、米医師会の全面敗訴となった。 11年間夫のクリニックを運営して以来、私は総合医療クリニックや、注意欠陥・多動性障害(ADD・ADHD)クリニックの運営にも携わりました。どのクリニックでも多数のスタッフを雇用し、解雇しました。「キャシーが朝一でオフィスに来たときは、誰かがクビになるときだ」などと言う人もいました。私の『就業規則』は30日間の試用知り合いで、噂がすぐ広まるような小さな町にあるならば、解雇の際には解雇手当を出すのも手かもしれません。払わない場合、働いた時間分だけ支払うとよいでしょう。 マネージャーは定期的にスタッフミーティングを開くべきです。ドクターは同席しても同席していなくてもかまいません。ドクターがいなければ、一般的にスタッフはよく発言するものです。マネージャーはミーティングを肯定的なコメントで開始し、非効率や無駄な点を見直し、また最後は前向きな雰囲気で終えるようにします。 スタッフ向けに、「べし・べからず集」(命令・禁止事項集)を用意しましょう。例えば、匂いの強い香水の禁止(匂いで患者の頭痛が悪化するかもしれない)、チューイングガムの禁止(これほど見苦しく、プロ意識に欠ける行為はない)、患者さんと政治や宗教の話はしない、個人的なことに立ち入り過ぎる話や噂話はしない、常にプロ意識を持つこと、といったことです。 誰かが休みの場合もクリニックを滞りなく運営できるよう、他のスタッフの仕事を理解させる訓練も、特に小さなクリニックでは大変重要です。また、ドクターはクリニック内の業務を全て理解しておくべきです。期間を定めています。試用期間終了時に、ドクターやマネージャーが、そのCAがクリニックにとって武器になると感じない場合、契約を更新しません。スタッフがそのクリニックに合っているかどうかは30日もしないうちに分かるものです。もし悪い徴候があれば見逃してはいけません。それはクリニックに悪い影響を与えるからです。もしあなたのクリニックが、皆がキャシー・エバンス氏■雇用に関するあれこれ■キャシーのCA(    )教室カイロプラクティックアシスタントVol.3 誰がマネージャーになるべきでしょうか。クリニックオープン当初は、人員的、予算的都合からドクターがマネージャーの場合が多いでしょう。クリニックが拡大するにつれ、CAがマネージャーとなり、新しいアシスタントを雇うことも必要となるでしょう。  患者は、健康的で清潔なクリニックで迎えるべきです。待合室には、医療やゴルフの雑誌でなく、健康に関する読み物を用意しましょう。患者の体験記・声もファイリングして用意します。待合室では携帯はサイレントモードに、施術室では電源オフをといった張り紙も貼るとよいでしょう。クリニックには植物をおきましょう。これは、面倒見がよく、繁栄しているクリニックであるとの印象を患者に与えるからです。

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