カイロタイムズ101号
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(6)2015年5月11日発行 カイロタイムズ 101号Chapter 1 「新カイロプラクティック・アジャストメント理論」Chapter 2 「Lower Cervical Spine 頸椎下部、C2-C7」Chapter 3 「Atlas アトラス、C1」Chapter 4 「Occiput 後頭骨」Chapter 5 「Thoracic Spine 胸椎」Chapter 6 「Lumber Spine 腰椎」Chapter 7 「Pelvis、Ilium&Sacrum 骨盤、腸骨と仙骨」岡井DCのテクニック・ブック ~基本編~ ~目と心を開いてこの一冊を吸収しよう!~実践カイロプラクティック アジャストメント テクニック 岡井健D.C.著/B5判 ¥4,428(税込、別途送料)注文はカイロタイムズホームページよりhttp://www.chiro-times.co.jp/商品/ 米国の医療保険の問題点などを紹介する2回目です。 一般的な米国の医療保険会社は、ネットワーク内、ネットワーク外とドクターを分別し、差別的な補償内容と対応をしています。これはドクターを囲い込む戦略で、保険会社の指定する条件に同意して契約するとネットワーク内のドクターとして登録され、保険会社のサイト等で紹介されるので患者を得やすくなります。 しかし、診療費は保険会社から割引され、保険会社の認めない診療コードには支払いが無い上に差額も患者に請求できない、また割引額(率)なども一方的に決められて、事前の連絡なく変更されるなど、ある意味で「保険会社の言いなり」になるようなものです。 こんなドクター泣かせの医療保険制度は、同時に患者をも泣かせています。 その理由の一つが保険の掛け金の高さです。USA Todayによると、2010年の米国の家庭の医療保険の年間費用は平均1万5千ドル(約180万円)となっています。 そんなに高い掛け金を払っているにも関わらず、保険会社側の一方的で恣意的な運用によって、米国人の41%が医療費の支払いに問題を抱えていると報告されています。そして米国の個人破産の60%以上は医療費が原因で、医療費で破産した人のうち75%は健康保険に加入していたのです。 では、高額な医療保険の掛け金はどこに行ったのでしょうか。 2013年度の調査で6社の保険会社のCEO(最高経営責任者)の年収が公表され、aetnaのCEOは年収が30・7ミリオンドル(約36億5千万円)で、1日の給与が9万ドル(約1070万円)でした。ウエルポイント社は17ミリオン、センテネ社は14・5ミリオン、シグナ社は13・5ミリオンと6社中5社のCEOが米国平均年収3万5千ドル(約420万円)を超える金額を1日で受け取っています。 米経済誌ビジネスウイークに掲載された『何故、保険業者は勝つのか』という記事で、保険会社が政治的活動へ出資した金額が紹介され、2007〜2008年の金額は、Blue Cross・Blue Shieldが約310万ドル、United Health Groupが約170万ドルなど億単位の金を使っていることが判明しています。 米国に住むことは、こういった保険会社の影響下に置かれることで、生活も臨床も容易ではありません。アメリカの医療保険制度2松下 順彦DCVol. 在星期間も今年の7月で15年目に入ります。そこで今回はこちらに来た経緯等をお話したいと思います。2001年の3月にパーマーを卒業した後、アメリカに残るか、カナダかブラジルへ行くか、あるいは日本へ帰るかという選択肢が有りました。しかし当時、卒業したばかりの私にビザが出る訳もありませんでした。アメリカとカナダのライセンス取得に向けダベンポートでぶらぶらしていたのですが、ある日同級生の友人の香港人が、1〜2カ月の間、香港で過ごしてみないかと誘ってくれました。そこで私は日本へ一時帰国ついでに今後の計画もしようと、そんな単純な気持ちで香港へ向かったのです。 香港で色々なカイロプラクターから話を聞くうちに、アジアで働くことも有りかなと思える様になっていきました。もちろん、日本も魅力的でしたが、働ける場所も無さそうでしたし、だからといって卒業したばかりの私には開業資金もありませんでした。とはいえ、香港で頂いた多くの仕事話はどれも条件が悪く、思っていた程英語も通じないので困難を感じ始めていました。そんな中、前述の香港人のボスにあたる人が、私の治療や経歴を高く評価してくれ、シンガポールかマレーシアで仕事をしてみないかと声を掛けてくれました。 正直なところその話を頂いた時は、行ったこともない東南アジアの国に対してあまりピンときていませんでした。しかし、航空券やホテルなどを用意してくれましたので、視察も兼ねてシンガポールとマレーシアへ向かったのです。 シンガポールは今年の8月でマレーシアから分離独立50周年ですが、現在、両国の発展には大きな隔たりがあります。当時の私はどちらも視察した上で、マレーシアで働くことに心が動きながらも、シンガポールになんとも言えない魅力を感じました。 結局は総合的に判断して、2〜3年の経験を得るつもりでシンガポールでの仕事を受けることに決めました。その後、最初に働き始めた香港系クリニックが1年で閉鎖してしまうという事態に見舞われましたが、現在の病院内の職場に縁があり今に至るまで働くことになったのです。 誰も知り合いもなく、ゼロからのスタートだった2001年当時には、まさかこんなに長く生活をすることになるとは思いませんでした。しかし、ここシンガポールの発展と共に私の人脈も増えて色々な人に出会え、今日まで切磋琢磨出来た日々が財産だと思えます。シンガポールとの出会い齊田 貴文DC 今となってはコーヒーの種類もサイズも、いくら渡したのかも一切記憶にありませんが、とりあえずコーヒーを手に入れ、周りを見渡しました。すると日本では見ることができない衝撃的な光景が広がっていてさらにショック。 しわしわの、車イスのおじいさんがたっぷりチーズのピザを頬張っていたり(日本では老人がピザを食べているところって見ないですよね?)、褐色の肌に銀色の髪の毛をした身長190㎝オーバーの女性(X-Menに出てました?)や、靴からお尻にかけてのラインがウッドペッカーそのものの体型の女性がいたり…。 そうしている間に飛行機の時間になり搭乗口へ。ダペンポートにジェット機が飛ぶはずもなく、小さなプロペラ機で2時間。窓から見る景色がトウモロコシ畑だけになってきた頃、ようやく到着。 ダベンポートに着いたとき、空港には、塩川雅士先生、塩川貴士先生、若城弘孝先生の3人が迎えに来てくださっていました。ホテルへの道中も日本とは何かが違うという違和感が…。アイオワは見渡す限りのトウモロコシ畑。山がありません。太陽を遮るものが無いからなのか、緯度が北寄りな為なのかは分かりませんが、夏は夜8時ぐらいまで太陽が出ています。時差ボケも加わってちょっと混乱状態。 ホテルに着き、少し休憩した後、晩御飯に連れて行って頂きました。疲れているだろうから食べやすい物をと気を遣って頂き、スープヌードルを食べに。ベトナム料理もパクチーも初めての体験。あの強烈なアジアの香りは今でも鮮明に覚えています。 食事後は長旅の疲れもありホテルに戻ってゆっくり休息…のはずが時差ボケで全く眠れず。次の日は学校見学があり、朝から校舎へ。説明会といっても、前述のように私の英語力はコーヒーも買えないレベル。全く訳が分からぬまま終了。その後、説明会参加者はカフェテリアでフリーランチが食べられるということで、喜んで注文の列に並んだものの、どうやって注文するかが分からないという現実に直面。おばちゃんの「早く注文して!何が欲しいの」という不親切な対応におどおどしていると、ここでも奇跡が。おばちゃんが私の後ろに並んでいたアジア人男性に、助けてくれるよう頼んだのですが、その男性は松久正先生だったのです。 このように私の留学生活はスタートしました。留学当時の青DC米国留学時代の思い出2 今季のインフルエンザワクチンはほとんど効かない米国疾病管理センター(CDC)が昨年初冬に発表したショッキングなニュースは全米を駆け巡り、パンデミックの可能性も示唆されました。 最も一般的なウイルスが突然変異を起したため、インフルエンザワクチンのウイルスの型と適合しなくなったというのです。関係者はそれでも、予防接種は受けないよりは受けた方が良い、もしインフルエンザになっても抗ウイルス剤を摂取すれば問題ないと言うのですが、それは少々おかしな発言ではないかと思います。 ワクチンは通常、次の年に流行ると予測されるウイルスの型を4つ選択し、少しずつ変異する事も見越して作るので、突然変異でというより単純に予想を外しただけではないかと思われます。また、予防効果がほぼ期待できないワクチンをそれでも受けた方がいいと言うのはなぜでしょう。 考えられるのは、今季のワクチンは来年度には使えないため、今年のうちに何としても売ってしまいたいという思惑です。しかもワクチンを売り終えてもその効果が非常に低い事からインフルエンザ患者はさらに増え続け、今度は抗ウイルス剤が売れるわけです。今の医学界は製薬会社がコントロールしているとよく言われますが、ここにもその典型的な縮図があるようです。 しかし効果がほぼないのに「今年は受けない」という声はあまり聞かれません。インフルエンザ予防接種は毎年受けるもの、MDの言う事は正しい、という先入観がまだまだ人々の考えにあるのが一つの理由に思えます。 カイロプラクティックは私達の持っているイネートインテルジェンスと治癒力を高めます。私はカイロプラクターになってからインフルエンザにかかった事はありません。もちろん予防接種も子供の頃学校で強制的に受けさせられた以外受けた事がありません。私達カイロプラクターの声をもっとたくさんの人々に届けなければなりません。インフルエンザワクチン中島 一光DC

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