カイロタイムズ100号
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(6)2015年2月1日発行 カイロタイムズ 100号 新年あけましておめでとうございます。2015年はシンガポール独立50周年の年、そして1915年に当地で設立された日本人会が100周年を迎える記念すべき年です。 多民族からなるシンガポールには4つの正月があり、新暦正月、中国(旧暦)正月、マレー正月、インド正月は全て平等に祝日となっています。 言語も英語、華語、マレー語、インドのタミル語の4つが公用語と定められています。しかし国語はマレー語とされており、国歌「マジュラ・シンガプーラ」はマレー語で歌われています。この国歌を聴く度にここがマレー半島の一部なのだと実感します。主にビジネスの場で使われるのは英語ですが、日常生活で使う言語は各人種によって様々であるのが特徴的です。家の外では英語、中では各言語を話す家庭が多いようです。 また、患者によって治療に対する反応が違うのも特徴的だと思いますので、当地での13年間の臨床経験を通して感じたことを述べたいと思います。 中華系の患者はとにかく自分がどういう状態かを説明します。私の質問に対して答えるというより、ここが痛いんだ!と主張します。マレー系は、症状がある程度進行してから来院する人が多いです。もっと早く来てくれてれば…と思うことがしばしばあります。インド系は、痛みに対する閾値が他民族より低いのか、少し過剰に思えるくらい痛みを訴えることも少なくありません。もちろん、この他にも日本人を含め色々な人種の方がいますし、先に挙げた民族にもこれらの特徴が全て当てはまる訳ではありません。 また有名な話ですが、当地には多くの罰金制度があり、罰金の都市とも言われているぐらいです。ここでは皆、当たり前のように受け入れている制度ではありますが、特に日本人から見ると、そんなことそもそも常識じゃないの?それも罰金なの?と思えることも多いです。しかしながら、多民族が共に生活をしてゆくためには明確なルールが必要でしょうし、独立後50年間、そうやって様々なルールを確立し、積み重ねてきたからこそ今日の統一や統制があるのだと思います。 色々な人種がいるからこそルール(法律)を作り、守らせる。カイロプラクティック業界も、明確な共通ルールを作っていくことが必要であると実感します。多民族国家シンガポール齊田貴文DC デンマークの11歳から13歳の子供達の脊椎痛(首、腰、背中の痛み)を2年間追跡研究した文献が発表になりました。脊椎痛はこの年代でもよく起こりますが、その中でも治療を受けているのは11歳では8%、15歳では34%です。腰痛を繰り返している子供達の31%は学校の運動参加を止められ、26%は学校に通えない状態を経験しています。 また、2年間の観察で、脊椎痛は体の様々な部位で起こること、そして、別の場所にPasadena Chiropractic CenterK. NAKAJIMA D.C.も痛みが増えたり、頻度や痛みも時間と共に悪くなったりする傾向にあることが分かりました。 首、背中、腰の痛みは人生の早い段階で始まり、脊椎痛の割合はこの年代(11歳〜15歳)から成人年齢に達する18歳までの間に急速に増えます。世界的に腰痛が障害の一番の原因である現在、それに費やされる治療費や年金の社会的な負担を考えると、若い年代における脊椎痛の根源治療が非常に重要であると思います。 私のクリニックの患者はほとんどが成人ですが、体育やクラブ活動等で怪我をした子供、中耳炎や側湾症を持った子供達も治療しています。とはいえ、現実としてどうしても問題のある箇所への治療のみに専念しがちです。子供達も親御さんも痛い所を1日でも早く治してほしいと言う思いで来院されます。 しかしこの記事を読んで、少し改めなくてはという気持ちになりました。脊椎の障害はもはや、私達の生活に身近なものとなりました。そして若い時の脊椎痛は大人になった時の脊椎痛に繋がっているのです。逆を言えば少年期に脊椎の問題や障害を取り除いていれば、大人になった時に脊椎痛になる可能性は少なくなるはずです。 子供達へのアジャストメントの重要性を再確認しただけでなく、彼らへのカイロプラクティック教育も大事だと思いました。ドクターの語源はラテン語でティーチャーです。子供達に健康の大切さ、脊椎の大切さをことあるごとに話していこうと思っています。子 供 の 脊 椎 痛 米国でカイロプラクティックの臨床をする際に重要なことの一つが保険です。 保険を用いずに自由診療という方法もありますが、大多数の米国市民は保険を用いて診療を受けたいという希望がありますから、一般的にはカイロプラクティックも保険でということになります。 日本のようにカイロプラクティックが全く保険の対象外なのと比べれば、保険が補償するだけましなのですが、実は米国ならではの苦労もあるのです。 米国の医療保険は、原則的にメディケアとメディケイドという高齢者や低所得者を対象とした公的保険を除いて、一般市民は民間営利企業である保険会社から医療保険を契約して購入することになります。これは、日本で任意自動車損害賠償保険を契約し、購入するのに似ています。 まず、免責額が設定されていて、病院などに受診した場合にも免責額に達するまでは保険は全く補償せず、全額患者(被保険者)が診療費を支払わなければいけません。そして、免責額に達した後も補償は80%や70%といった具合に契約によって違います。しかもその80%などの割合は保証されていません。実際に請求を出した後、保険会社からの保証内容明細の書類が届くまで確定されません。 また、X線検査は90%だがカイロプラクティックの矯正は70%、というように補償内容は契約によって様々ですから、その確認が時間と労力を要します。 その他、カイロプラクティックに関しては、年間の補償金額や通院回数に上限が設定されている契約もあります。また、通院前に保険会社に電話して事前承認を得ておかないと補償が受けられないとか、更には医師の紹介・承認がないとカイロプラクティックを補償しないという保険も存在します。 請求を出してから1カ月で明細と支払い小切手が郵送されてくる場合もあれば、3カ月以上待っても何の連絡もない保険会社・担当者の場合もあり、こちらから連絡すると、診療録のコピーを送れだの、検査記録を送れば審査してから支払いを検討するだのと、恣意的に支払いを遅延させることも保険会社の常套手段です。 私が日本で経験した柔道整復の療養費払いの保険診療と比べて、米国でのカイロプラクティックの保険診療は、医療保険会社の恣意的な運営によって余計なストレスが百倍位あります。アメリカの医療保険制度1松下順彦DC 香港でここ2カ月半に渡って行われた完全民主的選挙を求めるデモが収束に向かい始めました。カイロタイムズ編集部の皆様をはじめ心配してくださった方々、ありがとうございました。 香港のデモは学生から始まりましたが、今回は私の米国留学時代についてお話したいと思います。 まず、DCになることと、パーマー大学に留学することを決心したきっかけは非常に単純です。私は子供の頃から三重県の仲野弥和DCにお世話になっていました。最初は仲野先生の出身校であるLACCを希望していたのですが、授業料や生活費を比べたところ、他大学より費用が掛かるということが分かりました。それ以外は似たり寄ったりでしたので、どうせなら発祥の地へ行こうとパーマーに決めました。その後、書類の準備などに約半年掛かりましたが2003年の7月、ついに米国へと出発しました。 初めての海外。出発する時の英語力はほぼゼロ。一般の旅行客と同じ、または旅慣れしている人よりも確実に英語が話せない状態での出発でした。 米国への飛行機では何故かグレードアップされ、ビジネスクラスに座ることに。普通は喜ぶところですが、エコノミークラスには日本人CAがいますが、ビジネスクラスには外国人CAしかいません。リクライニングを倒そうにもいろんなボタンがあって何がなんだか分かりません。隣の人に聞こうにも相手は白人。そんな勇気がありません。そんなこんなで一睡もできず、乗り継ぎのデトロイト空港に到着。日本時間で夜中の3時。 強烈な疲れと空腹で何かを食べようと空港内を徘徊しているとマクドナルドを発見。しかし今の自分の英語力で注文できるのか?と考え、マクドナルドを断念し、隣のスターバックスでコーヒーを買うことに。今では日本のどこでもスターバックスをみることができますが、その当時はそこまで一般的ではなく、どのようなメニューがあるかも知らず、ただ一言「コーヒープリーズ」と言いました。 それに対して返ってきた言葉がデトロイトの黒人訛りで「Which one and size? Grande? Tall?(どのコーヒー?サイズは?グランデ?トール?)」カウンターの前で完全にフリーズしました。(次回へ続く)留学当時の青DC米国留学時代の思い出1

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